気一元論

 『荘子』には、「人の生は気の聚(あつ)まりなり。聚まれば生たり、散ずれば死たり。」とあり、東洋哲学、特に道家の考え方では生命とは“気”の集合体であると考えられています。 そして、この“気”の集まりである生命体を生命体たらしめているのが、前回紹介した東洋哲学でいう“神”とされています。

 もっとも、生命体に限らず、この世の総ては一つの“気”でできているとされ、こうした考え方を気一元論と呼びます。漢方では、五臓六腑や気、血、津液(水)、精などを考え、一般的に“気”といえば、全身を巡り、からだのもつ諸機能を発現するエネルギーととらえられていますが、気一元論によれば、肉体も総て気でできているとされます。

 科学的な考え方からは突拍子もない考え方のようにも見えますが、最先端の量子論の世界で理論的に考えられている超弦理論(超ひも理論)によると、この世の物質は総て限りなく小さい1次元の“ひも”のようなものが振動しており、その振動(波長)の違いで様々な素粒子となり、素粒子が集まって陽子や中性子となり、これらが原子となり、原子が集まって物質となるとされています。則ち、超弦理論によれば、この世のものは総て一つの“もの(ひも)”でできていることになります。

 この理論が正しいとすれば、超弦理論でいうところの振動している極微の弦というか“ひも”が東洋哲学でいうところの“気”ということになります。また、振動や波長ということでいえば、“神”が宿しているとされる“心”は心電図に表されるように振動しており、人間が脳で考えたことは電気的な信号に変換され電磁波となりますし、少なくとも生命活動に振動が深く関わっていることは間違いありません。

 

 

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