沈香
正月といえば初詣ですが、神社や仏閣といった宗教的な施設にはお香の香りがつきものです。世界的に見ても、仏教をはじめイスラム教やキリスト教、ヒンズー教においてもお香はなくてはならないもので、良い香りのするお香はその場と人々の心を浄化するものとされています。そのお香の中でも特に沈香は、古来、中国や日本で最高級の香木として珍重されてきました。
沈香とは、ジンチョウゲ科の雅香樹や沈香樹といった木の木部が細菌や虫によってダメージを受けた際に、防御成分として分泌される樹脂成分が長期にわたって蓄積したもので、特に良い香りのものは数十年以上もの歳月を要するとされています。この樹脂成分は比重が重く、水に沈むことから沈水香木とも称されます。日本では正倉院に収められている蘭奢待(らんじゃたい)とよばれる沈香が有名で、歴史上、足利義政、織田信長、明治天皇などが一部を切り取ったとされる跡が残っています。
さて沈香は生薬としても用いられ、漢方では行気薬として主に胃腸の気の巡りを良くする作用があるとされています。そのほかにも感応丸処方などに精神的な気の巡りを良くする目的で配合されています。尚、沈香はその香りで気の巡りを良くしてくれますが、消化管にも香りに反応する受容体が存在する事から、内服しても効果が期待できます。
インドにおけるレビュー
インドにおいても古くは仏教、近年ではヒンドゥー教においても沈香は珍重されてきましたが、昨年の4月にインドのガウハティ大学などの研究チームによって『神経保護剤としての沈香:既存の証拠と将来の研究への包括的なレビュー』と題したレビューが発表されています(※)。
本レビューでは沈香の神経変性疾患に対する有効性を中心に紹介されていますが、神経変性疾患とはうつ病からアルツハイマー病、筋萎縮性側索硬化症など脳神経の損傷によって引き起こされるもので、ストレスによって症状が悪化することが知られています。神経変性疾患に関しては、WHOの推計では全世界で既に5500万人がこのような状態にあり、2030年までには7800万人、2050年までには1億3900万人にまで達するとされています。
本レビューで紹介されている沈香の薬理作用としては、脳内の神経伝達物質の調節を通じて神経ネットワークにおけるシナプスの興奮性入力(Excitation)と抑制性入力(Inhibition)のバランス、いわゆるEI バランスを調整する作用があるとしています。このEIバランスの乱れは自閉症スペクトラムなどでも観察されており、EIバランスを正常に保つことは脳機能にとって重要とされています。
さらに沈香にはストレスによるHPA軸(視床下部-下垂体-副腎系)の慢性的な活性化を抑制し、ストレスによる神経損傷を軽減する作用があるとしています。これは、沈香代謝物が副腎皮質刺激ホルモン放出因子(CRF)受容体(CRFR)と相互作用することで、主要なストレス因子であるCRFの上昇を抑制することで、HPA軸の過剰活動を効果的に抑制するほか、沈香揮発成分が副腎皮質刺激ホルモン(ACTH)レベルを抑制することでも最終的に主要なストレスホルモンであるコルチゾールの放出を抑え、結果として不安、ストレス、抑うつなどの症状緩和に寄与するとしています。ちなみにHPA軸の慢性的な活性化は、うつ病や不安障害、慢性疲労などの原因になるとされています。
そのほかにも沈香代謝物にはセロトニン再取り込みを阻害することで、セロトニンシグナル伝達と神経伝達を促進して、気分障害と抑うつ障害を緩和させることなども紹介されています。
最後に、沈香は神経伝達物質調節、神経突起形成活性、抗酸化作用、抗炎症作用などの特性を示し、これらが総合的に作用することで、神経変性疾患の病態における神経保護の治療に大きく寄与する可能性があるとしています。

