“こころ”はどこにある?

“こころ”は脳にある?

 今年は家庭や銀行の窓口で人工知能を搭載したロボットが実用化され、医療の世界でもがん治療に人工知能を応用する研究が具体化するなど、少し前までSF映画の世界でしかなかったことがいよいよ現実のものとなってきました。今後、人工知能の利用が社会のあらゆる分野に広がっていくのは間違いありません。

 また、以前にも書きましたが、近い将来、人工知能は人間との融合もしくは人間を超越した存在にまで進んでいくと予想されていますが、人工知能が人間に近づけば近づくほど、人と機械(人工知能)の違いは何かという哲学的な問題が議論されています。別の角度からいえば、人工知能は知識だけでなく“こころ”を持つのかということですが、そう考えたときに“こころ”とはそもそも何かということが問題になってきます。

 これまで、西洋医学的には“こころ”とはすなわち脳の働きであると考えられてきました。また、成人になって脳の神経経路が完成された後は、神経細胞は再生や変化することなく老化などにより細胞が死んでいくだけであるとされてきました。よって脳の構造やニューロンの働きなどを調べていけば、“こころ”も見つかるといった唯物論的な考え方が支配的であったために、コンピューターの発達とともに脳の働きを人工的に再現できれば“こころ”も必然的に再現しうると考えられてきました。ところが、二十世紀末の数年間に脳は可塑性があり、思考により変化し得ることが科学的に実証されました。簡単にいえば“こころ”が脳を変化させ得ることがわかったわけで、脳の中に“こころ”はなかったという結論にいたりました。その結果、西欧の脳科学者の間で“こころ”とは何かを求めて仏教をまじめに研究する人が増えているそうです。

 

東洋哲学における“こころ”

 さて、漢方では“こころ”とは、肉体にあっては文字通り五臓の“心”の作用とされていますが、“心は神志をつかさどる”とされ、神志とあるからには形而上的な存在である神との関連が強く示唆されています。

  そもそも人とは、黄帝内経に「血氣已に和し、営衛已に通じ、五臓已に成る。神氣心に舎し、魂魄畢(ことごと)く具わりて乃(すなわ)ち人と成るなり」とあり、また、「神に随(したが)い往来するもの、これを魂という」とあり、人が生まれるときに胎内で“精”をもとに完成された肉体に、神と魂が降りてきて人となるとされています。このとき、魂は五臓の肝におさめられますが、神は心におさめられるというか、心とつながると考えられます。これは牛黄や麝香のような開竅薬とよばれるものが邪気に閉ざされた心竅(心の穴)を開くことで意識不明状態から回復させるとされていることから、心の竅(あな)を通して肉体と神がつながっていると考えられるからです(因みに、“神を失うものは亡ぶ”とされ、心竅が塞がってしまい、このつながりが絶たれると亡くなるとされています)。

  また、神は魂だけでなく本能的な情動をつかさどるとされる魄(はく)との関連も深く、魄とは黄帝内経に“精に並んで出入りするもの、これを魄という”とあり、類経に「魄の用を為すや、能(よ)く動き、能(よ)く作し、痛痒はこれに由(よ)り覚(さと)す也」とみえ、脳腸相関にかかわる腸内細菌や皮膚の常在菌など人間と共生している微生物との関連性が深いと考えられます。

  よって“こころ”とは、魄や神とつながった存在である魂により構成されるものといえます。蛇足ながら、神という言い方をすると宗教的に聞こえるかも知れませんが、もともと東洋的には周易に“神なるものは万物に妙にして言を為すものなり”とあり、神とは生命をはじめこの世をこの世たらしめている形而上の存在を指しており、日本に西洋医学が入ってきたときに、神経や精神といった文字が充てられたのもこのような考え方がベースになっていたからだと思います。

 このように考えると、“こころ”の病に関しては、神につながる五臓の心に対する牛黄や麝香などの開竅作用、魂と関連する五臓の肝の状態、魄と関係の深い腸内細菌バランスをはじめとした脾胃の状態などが鍵を握っているといえます。

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