東洋の時代へ

日本人と“神”

 新年明けましておめでとうございます。さて、正月といえば初詣に出かけられた方も多いと思います。よく日本人は無宗教であると言われますが、三が日に百万人以上もの人々が参拝に訪れる神社や寺院が全国にいくつもあるという事実は一概にそうとも言いきれません。また、クリスチャンでもないのに教会で結婚式を挙げたり、ハロウィンやクリスマスだと騒ぐのはおかしいという意見もありますが、もともと日本では自然物や自然現象、あるいは偉人などを神さまとして信仰の対象にするという東洋的というか神道的な精神が根底にあり、キリストであれマホメットであれ、八百万(やおよろず)の神さまのひとりとして受け入れる土壌があるように思います。

 さて、漢方というか東洋哲学的では“神(しん)”について、生命を生命たらしめている“はたらき”というか生命活動を主宰するものを指しており、肉体にあっては五臓の心に宿しているとされています。また、魂は五臓の肝におさめられていますが、黄帝内経には“神に随(したが)い往来するもの、これを魂という”とあり、人の寿命が尽きた後は、魂は神にしたがって天に還ると考えられています。因みに肉体をはなれた魂が天に還らずさまようと人魂(ひとだま)であり、魂の抜けた肉体を空魂(からだま)といいます(“からだ”の語源とされています)。

 また、天に還るだけでなく“往来する”とあることから、魂も神もいつかこの世に還ってくるわけです。この事に関しては、数年前から現役の東大病院の救急医療部門の教授である矢作直樹医師が「人は死なない」などの著書の中で霊魂の存在について述べておられますが、その内容は東洋哲学で考えられてきたことと一致します。さらに、こういった著書がベストセラーになるところをみると日本人の霊性は失われていないと感じます。

 

量子論と東洋哲学

 さて、以前なら霊魂のはなしなどは科学万能の現代において一笑に付されてきたものですが、近年、現役の医師や科学者といった方々がそういった発言をしても受け入れられるようになった一つの理由として、逆説的ですが現代科学、特に量子論の発展があります。すなわち、量子論では電子や光子、ヒッグス粒子など物質を構成する最小単位のものを素粒子とよびますが、素粒子は物質であるとともに同時に波動であるとされています。更に“超ひも理論”と呼ばれていますが、このいくつか存在する素粒子は総て同じ“もの(便宜上“ひも”と呼ばれています)”が振動しており、その振動の仕方で性質の異なる素粒子になるとする考え方が有力となっています。

 極端にいうと、目に見える物質も人体も、突きつめていくと素粒子(さらには“ひも”)の波動というか“ゆらぎ”の集まりであるということです。また、目に見えている世界は全宇宙の5%にも満たず、残りの95%は暗黒物質と暗黒エネルギーとよばれる目に見えない存在であることが欧州宇宙機関から発表されています。

  このような科学の最先端の知見は、結局のところ東洋で古(いにしえ)より語られてきたことと符合するわけです。例を挙げれば般若心経の有名な“色即是空、空即是色”は色(物質)と見えているものは実は空(波動)であると解釈できますし、人体に関しても荘子には“人の生は気の聚まりなり。聚まれば生たり、散ずれば死たり。”とあり、このように生命を気一元の世界で捉える東洋医学の考え方は、目に見えるものは究極的には物質と波動の両方の性質をもっているとする量子論の結論と一致します。

 これまで人類の文明は八百年周期で東洋と西洋が交互に時代をリードしてきたとする説がありますが、これからの時代は確実に東洋がリードする時代へ回帰していくと思います。

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