冬至と鹿茸

冬至とクリスマス

 師走をむかえましたが、現代日本でこの時期のイベントといえば忘年会やクリスマスということになります。しかしながら、古代の人々にとっては、洋の東西を問わず一年で最も日が短くなる冬至こそがこの時期の最大のイベントでした。これは、この日を境に日が長くなっていくことから太陽の復活と再生の日という意味が読みとられていたためで、特に紀元前一七00年以前に中央アジアで成立したとされ、太陽神であるミトラスを主神とするミトラ教において重要視されていました。因みにミトラ教は古代の世界宗教ともいえる存在で、キリスト教でイエス・キリストの誕生日とされたクリスマスも、このミトラ教の冬至(当時の暦で十二月二十五日)を祝う考え方が影響したとされています。また、仏教における弥勒信仰はミトラ教の影響を受けているともいわれています。

 古代中国の暦においても冬至は最も早くに確立された日であり、周の時代は冬至を一年の始まりとしていました。その後、漢の時代に暦法が変更され正月朔日が一年の始まりとなりましたが、清朝の時代まで冬至は皇帝が天壇において天と先帝を祭る重要な日とされていました。陰陽論では“陰極まりて陽となす”日でもあり、現代中国でも民間で冬至を祝う風習は残っているそうです。

 

復活再生のシンボルとしての鹿茸

 さて、冬至は暦の上での復活と再生のシンボルですが、自然界においては、毎年、角が落ちては生えてくる鹿は、古くより復活再生のシンボルと考えられていました。こうした考え方は、紀元前に中央アジアで栄えたスキタイなど狩猟民族の間で色濃く、中国においても、周の時代の埋葬品に玉製の鹿が見つかっているほか、それ以後も権力者の棺や墓から数多くの鹿にまつわる副葬品が出土しており、これは、復活と再生のシンボルとして鹿が重要視されていたことを示しています。すなわち、あの世での復活と再生に鹿の力が欠かせないと考えられていたようです。更に、これらの埋葬品では特に鹿の角が強調された図案が目立つことから、鹿のもつ神秘的な力の根源がその角にあるとみていた事がうかがわれます(※)。

  4世紀に記された「抱朴子」には“牡鹿一頭は百頭の牝鹿を引き連れる”とあるほか、6世紀前半の「述異記」には“鹿は千年で蒼鹿になり更に五百年で白鹿となり、もう五百年生きると玄鹿となる”と記されているように、もともと鹿は極めて生命力が強い動物と考えられていましたし、特にその角である鹿茸や鹿角は生命力を高める薬効があるとして古くより利用されてきました。

 

鹿茸は“精”を生じる

 漢方の世界では鹿茸の薬効として十六世紀末の「本草綱目」に“精を生じる”とあり、生命の根源物質ともいえる“精”を増やす効能があると明記されています。“精”とは、黄帝内経に“両神あい搏(う)ち、合して形をなす、常に身に先じて生ずるは、これを精という”とあるように、今風にいえば生命体を発生させる卵子であり、精子でもあり、万能細胞である受精卵でもあり、同時に人体の熱エネルギーの根本をなす腎陽、すなわち命門の火の燃料でもあります。また、成長と生殖能力の原動力となることを考えれば、“精”を生じさせる鹿茸は生命の活性化に直結する生薬といえます。さらに、老化とは“精”が減少する過程であり、“精”を補う鹿茸は全身の老化予防につながります。因みに、中国には鹿茸の注射薬まであり、効能としては活力増強と細胞の新陳代謝促進作用があるとされています。

(※参考文献:「鹿の角がもつ再生観念について:スキタイ、戦国楚墓、馬王堆漢墓をつなぐもの」大形徹 大阪府立大学 人文学論集.2013,31,p.59-89)

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